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9/11/2006 テロの傷跡今年の9/11も間もなく終わろうとしている。 グラウンド・ゼロはじめニューヨーク近郊では 朝から犠牲者の追悼式が各地で行われた。 事件から5年目の今日も朝から爽やかな秋晴れ。 あの日と同じ。
ハドソン川ごしにワールド・トレード・センター(WTC)が臨める街に住んでいた当時。 いつものように仕事に出かける準備をしていた朝 突然聞こえた爆音。 大きな音には慣れていたものの、ただならぬ雰囲気を感じつつ ニュースを見る時間もなく家を出る。 アパートのロビーに降り立つと いつも陽気なコンシェルジの緊張した表情と他の住人たちの群。 「WTCが火事らしいよ!」 ロビーの窓からマンハッタン方面を見ると、 タワーの一方からもくもくと黒煙が吹き出している。
“すごい火事だ!”
黒煙発生の原因を知らぬまま、マンハッタン行きの地下鉄に乗り込む。 グラウンド・ゼロからは距離をおくミッドタウンのオフィスに到着後 自宅にとどまった仲間から、刻々と変化する近況が寄せられる。 まるで映画のような出来事の連続。 今後の予測がつかぬまま、昼過ぎに帰路につく。 既に全ての地下鉄は運行停止中。 川向こうに住む者の足はフェリーのみ。 マンハッタンで唯一開設されていたフェリー乗場までひたすら歩く。 乗場には長蛇の列。 WTC付近から歩いてきたらしく、頭からつま先まで埃だらけの人も多い。 いつもおしゃべりで、文句の多いニューヨーカーたちが これほど大勢集まっているというのに あたりは不気味なほど鎮まりかえっている。 行列の周りは機関銃を抱えた軍人が取り囲み、 真っ青な上空を轟音を引きずるジェット戦闘機が巡回する。
“この先 何が起こるんだろう?”
できるだけ多くの人間を、短時間でマンハッタンから外に出すため フェリーの終点は直線距離上にある対岸一箇所のみ。 そこから各自の最終目的地に限りなく近い地名を掲げる臨時バスに乗り込む。 マンハッタンの外とは言え、緊急警備が敷かれた近郊の街は あちこちの主要道路が封鎖されている。 緊急時に出動したバスの運転手たちは、ただでさえ道に不案内の者も多く 乗客との共同作業でバスを走らせる。 なんとか隣町まで到着した私はそこから再び歩く。 途中、見知らぬ夫婦から道端でミネラルウォーターをいただき、ようやくのどを潤す。 携帯電話は繋がらないことの方が多かったものの、 家族や親しい友人の無事は確認済みだったため不安はなかった。 私の9/11はとにかく歩いた1日だった。
この事件が残した傷はとても大きく、とても深い。 大切な家族や恋人をある日突然失う悲しみとは比較のしようもないが 『自由の女神』や『エンパイア・ステート・ビル』同様 WTCそのものが アメリカに住む者にとって特別の存在であったことは間違いない。 5年たった今も、事件に関わった多くの人々の心と同じように グラウンド・ゼロには大きな穴が開いている。 失った被害者を悼む人々。 事件前に加害者と接触し、未だに自分の非力を悔やむ人々。
被害者の無念を忘れることなく、 自由と平等を尊重するこの国ならではの生き方を貫いていきたい。8/5/2006 猛暑の末ニューヨークを襲った猛暑がようやく落ちついた。 最高気温は連日36℃前後だったようだが、 湿気が加わった体感温度は40~46℃ほど。 車や建物からの熱風もあり、通りを歩くと逃れようのない熱気に包まれ、息苦しい。 ただでさえ必要以上に冷房を効かせがちな昨今。 ここぞとばかりに全ての冷房設備をフル回転させるため あちこちで許容量を超えた停電が発生。 まだまだ古い設備の多いこの街。 地下に張りめぐらされたケーブルもパンクし 映画のシーンのごとく、マンホールからは炎が燃え上がり 更なる停電を引きおこす。 復旧作業もはかどらず、人々の苛立ちは増す一方。 いまのところ ニューヨーク市だけでも10名が 今回の猛暑が原因で死亡したとみられている。 暑さが苦手で住み着いたこのニューヨークも 地球温暖化の影響を確実に受けているようだ。
さて 明日からは待望の夏休み。 昨年のロンドンに続き、今回の一人旅の行先はパリ。 初パリ、初フランスである。 最大の目的は『ルーブル』やリニューアルしたての『オランジュリー』美術館と 『ヴェルサイユ宮殿』 そしてもちろん『美味しいフランス料理!』 無事帰国できたらまたご報告したい。 7/4/2006 宇宙へ今日は独立記念日。 各地で記念パレードや花火大会が開催され 本格的な夏の到来を感じさせる。
恒例の日没後の花火大会を前に、 土曜日から延期されていたスペースシャトル 『デイスカバリー』の打ち上げが行われた。 ”Third time was a charm”で 今回3度目にしてようやく実現したうえ、 初の独立記念日の打ち上げとあって注目が集まった。
知力・体力・精神力を備えて生まれ変わることができたら 次回は是非とも宇宙飛行士を目指したい私。 今回の打ち上げ観察はネットを利用してみた。 http://news.yahoo.com/fc/Science/Space_Shuttle http://spaceflight.nasa.gov/realdata/tracking/
落ちついた声の中にも静かな興奮を伴った 男性アナウンサーの実況とともに 様々な角度からの映像がリアルタイムで映し出される。 シャトルの全景を捕らえた打ち上げ前後の映像。 発射台との切り離しの瞬間を捉えたズーム。 青空を背景に役目を終えて切り離される 2本の固体ロケット・ブースター。 機体が地上の望遠カメラの視界を去ると 外部燃料タンクに設置されたカメラからの映像に切り替わる。 機体の下方に見る見る遠のいてゆく地上の映像。 液体から固体に変化する画面の水滴。 静けさの後 一瞬燃え立つ視界の炎。 そしてゆっくりと離れてゆくオービターの姿。 まるで自分もその場にいるような感覚を味わえる。
1986年1月。 当時ワシントンDCで気楽な学生生活を送っていた私が テレビで目にしたのは『チャレンジャー』の打ち上げと その無惨な最期の映像だった。 科学の粋を集結したはずのスペースシャトルの事故は 何よりも衝撃的で受け入れ難い現実だった。
あれから20年。 今回のミッションは2010年の完成に向け建設が急がれる スペースステーションまで約2トンの積荷を運ぶこと。 予定が遅れるたび 各方面からのプレッシャーも増す。 それでも安全性を最優先し 1日にわずか10分ほどしかないという枠内での 打ち上げを試みるNASA。
人間が宇宙へ飛び立つばかりか、 各国が協力して大きなプロジェクトに取り組む様子は 想像するだけワクワクする。 230回目の誕生日を機に 『破壊する』側から『創り出す』リーダーに 生まれ変わって欲しいと改めて願った午後だった。 1/24/2006 イメージ知り合いに ご主人が日系アメリカ人 奥様が日本人というご夫妻がいる。
こちらのご主人。 生まれも育ちもアメリカと言うのだが、 彼と知り合った頃の奥様が 『ずっと日本人だと思いこんでいた』ほど 流暢な日本語を話し、日本に関する知識も豊富。 長年 米国の大手企業でエンジニアとしてお勤めの後 単身で中国にわたり語学をマスターする傍ら 教育者として第二の人生をスタート。 2年ほど前から日本に居を構え、 ある地方の公立大学にて 経営学の教授として教壇に立っておられる。
この教授が 専門分野である グローバル・ビジネスのトピックとして 『中国におけるビジネス戦略』 という講座を開設しようと試みたときのこと。 教授の実績や講義内容から さぞかし多くの学生が集まったであろうと思いきや これがサッパリ。 希望者がなかなか集わず、 結局『幻のクラス』に終わってしまったというのだ。 キャンパス外でも様々な講演を行っておられる教授。 同じ内容の講演を都心の社会人向けに行えば、 参加者はいくらでも集まるという。
「ではなぜ学生たちは興味を示さなかったのか?」
「中国のことはよくわからないから」 「中国には興味が無いから」 「中国語を学んでも、就職には結びつかないから」
どうやら 学生たちの抱く中国に対する『イメージ』に 問題があるらしい。
世界経済のなかで今後ますます成長し、 注目を集めるであろう大国-中国。 既に多くの米企業の国内向けカスタマーサービス機能を 担っているインド。 私たちの知る知らないに関わらず、 日本以外のアジア諸国は確実にその勢力を伸ばしつつある。
あらゆる情報を容易に入手できる現代社会。 その気になればいくらでも 新しい知識や概念を学べる環境にある日本の学生たち。 彼らがもし時代遅れの偏ったイメージに固執し 派手な欧米諸国にばかり目を向けてしまっているとしたら これほど『もったいない』ことはない。 1/16/2006 祝日の定義1月の第3月曜日である今日は アメリカにおける公民権運動の第一人者であった マーテイン・ルーサー・キング・Jr.博士 (http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Luther_King%2C_Jr.) の生誕日であり『連邦政府の祝日』。
『自由と平和を求めてやまない日本国民は、 美しい風習を育てつつ、よりよき社会、 より豊かな生活を築きあげるために、 ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、 これを「国民の祝日」と名づける。』 (http://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou.html) と謳い 祝日の定義も国家として統制のとれた日本。
ところがアメリカでは、州や地方ごとの違いに加え 宗教、民族、習慣、主義・主張に応じて 各企業から個人レベルでその定義は違うため、 厳密には『国民の祝日』というものが存在しない。
一応(?)連邦政府がその職員のために設定した 年10日間の有給休日が『連邦政府の祝日』 (http://www.opm.gov/fedhol/2006.asp)とされ、 銀行はじめ、企業や各種団体もこれらを祝日とすることが多い。
(2006年の期日)
しかし、多種多様な人種を抱えるアメリカ。 『連邦政府』の“取り決め”もあくまで一つの例に過ぎない。
例えばこの『Martin L King, Jr.’s Birthday』。 この日を祝日と見なすことに反対する動きもあり、 全国レベルで容認されるまで数年を要した。 最初は博士の誕生日である1月15日が設定されていたのだが、 今では1月の第3月曜日という形で落ち着いている。 だが経営者や企業の方針によっては いまでもこれを祝日としない場合がある。 『Washington's Birthday』や『Columbus Day』『Veterans Day』 なども同じで、祝日となるか否かは各団体次第。
またその殆どが月曜日に設定されているものの 『New Year's Day』『Independence Day』『Thanksgiving Day』 『Christmas Day』など日付が決まっている場合、 曜日によってその前後に休日が追加されるという 臨機応変な対応もみられる。
この他にも 信仰や民族の歴史から発した『祝日』の数々。 中国暦に準じて祝う『チャイニーズ・ニューイヤー』。 1月7日はオーソドックス・カトリックの『クリスマス』。 アイルランド系移民がその歴史と文化を祝い、 街が緑色に染まる3月17日の『セント・パトリック・デー』。 ユダヤ暦の新年を祝う『ロシュ・ハシャナ』や『ヨム・キッパー』。 アフリカ系黒人アメリカ人がその歴史を祝う『クワンザ』。 ちなみに私が以前勤めていた会社では、 社が決めた祝日に加え 年1日の『信仰祝日』なるものが認められていた。 信仰上祝日の多いユダヤ人の同僚は、有給休暇まで利用していが、 日本人で無宗派の私はこの1日の利用目的すら思いつかず、 『盆』や『正月三が日』を認めてもらおうと奮闘したものだ。
留学生として初めてアメリカで暮らしたその昔。 通っていた学校が あらゆる祝日を取り入れる主義とも知らず 「日本に比べてアメリカは祝日が多い!」と信じてウカれた。 その後 ニューヨークで就職し 実社会での祝日の少なさを知り唖然とした。 何年たっても祝日の数と初任給の額は増えず、 物価ばかりが上昇するこの街で暮らしながら、 年々『国民の祝日』が増えているように見える日本社会を 羨ましく思う今日このごろである。 10/29/2005 好かれる人間昨日も朝9時スタートのセミナーに出席すべく 日の出とともに家を出た。 『サマータイム』終了を今夜に控えた今日この頃、 日の出と言っても時刻は7時20分前後。 朝の気温は約4℃。 風の冷たさは堪えたが、 時間に余裕があったので歩いて会場へ向かった。
途中 通り道でもあったので 毎朝テレビで見ているモーニングショーの 撮影風景を覗いて行くことにした。
アメリカ3大ネットワーク(ABC、NBC、CBS)のうち、 まずはタイムズ・スクエアに面したスタジオを持つABCへ。 朝7時から2時間にわたる生放送が、 ガラス張りの大きな窓を通して歩道から見学できる。 人垣の合間から 見慣れた男性キャスターを見つけたものの、 彼の顔に刻まれたシワの多さに驚いた。
次に立ち寄ったのは クリスマスツリーとスケートリンクで有名な ロックフェラーセンターにスタジオを持つNBC。 こちらは毎朝7時から3時間にわたって生放送が続く。 ちょうど看板キャスター3人がスタジオ前の広場から中継していた。 テレビではやけに広く見える撮影広場が 実際には実にコンパクトなスペースであることに驚いた。
男性キャスターのシワにせよ、 広場の見せ方にせよ、 テレビカメラというのは実に偉大な発明品だと感心した。
昨日のセミナー会場は 大統領や各国の要人も宿泊する パークアヴェニューのThe Waldorf Astoria Hotel。 このGrand Ballroomに約1,000人の営業マンが集まった。
セミナーのスピーカーはTim Sanders氏。 43歳という若さで成功を納めた彼が “人生で成功するために最も必要なこと”として掲げたのが
『人に好かれる人間になること』
約90分にわたるトークのなかで 『人に言われた言葉は忘れてしまいがちだが、 その人が自分の心に与えた印象はなかなか忘れない』と指摘。
『好かれる人間になるため 常にポジテイブな心証を他人に与えられるようになろう!』 と説いた。
またそのうえで 『初対面の人に与える印象は、その時の表情が大きく左右する』 とし、
『初対面の人を「敵」か「味方」か判断する際、 55%の人が「表情」、38%の人が「口調」、 そして7%の人が「言葉」を基準にしている』と補足。
『私たちは1日平均17回笑顔で応対されているにも関わらず、 そのうち5回しか笑顔を返していない』 という数字も加え、人間関係における『笑顔の大切さ』を強調した。
また『本物』を求める傾向が強まるなか、 『たとえそれが辛いことであっても、 「真実」を伝えることができる人が最終的には好まれる』 という彼の言葉には自信と勇気を与えられた。
ちなみに 『嫌な上司のもとで5年間働き続けるのは、 1日に3箱のタバコを毎日吸い続けるほど身体に悪い』 という余談には、多くの参加者が頷いていた。
さて サマータイムが終了すると 日本との時差は再び14時間(日本が先)。 国際電話をする際は、相手の時間帯に注意しよう! 10/4/2005 ことば週末の日経新聞に興味深い記事を見つけた。 『何でもランキング』の『気になる言葉づかい』だ。
何を隠そう 私がブログを始めた理由のひとつが 自分の日本語レベルの衰え。 漢字の読み書きはもちろん、 会話の中でもいつの間にか自然でストレートな表現が できなくなりつつあることに気づいた。 かと言って“英語がネイテイブのようになったか?” と言うとそうでもない。 これではどちらも中途半端。 仕事柄、日本人のお客様と接したり、 手紙やEメールを交換することも多いため、 意識して「正しい日本語」に触れていようと思った。
今回の記事では『気になる言葉づかい』の20位までが 挙げられていた。 なかでも特に気になったのは 「うざい」(9位)と「やばい」(16位) まず日本にいる頃は聞いたことのなかったのが 「うざい」 確かこちらで日本のテレビドラマを見ていて 初めて聞いたと記憶している。 最初は意味がよくわからなかったものの やけに人を傷つけるフレーズだと感じた。 そしてこの言葉が若者の間で普通に使われていると知り、 少々ショックを受けた。 そして「やばい」の使い方。 状況の良し悪しに関係なく使われていることを知り、 その安易な使い方にいささかしらけた。 確かに言葉は生き物。 時代とともに変化するのはあたり前なのかもしれない。 だが人を傷つけたりバカにするような言葉が 増えるのは残念だ。
そして他人事でなく、 最も注意したいのが敬語の使い方。 日本語の敬語や謙譲語は実に複雑。 しかしランキングにも出ていた 「○○でよろしかったでしょうか」(1位) 「○○円からお預かりします」(2位) 目上の人に対する「ご苦労さま」(10位) 「お名前さまいただけますか」(11位) などは日本を離れている私が聞いても違和感を感じる。
また私たち在米日本人に多いのが、 部分的に英単語を交えて話してしまうケース。 英語がより身近になっている若い世代の日本人相手であれば ある程度理解してもらえる言葉も増えてきているようだが、 相手によっては失礼な印象を与えかねない。
在米日本人どうしが使う日本語も よく考えるとおかしな表現のものがある。 先日も冬休みのエア・チケットを予約しようと ある大手米系航空会社の日本語ラインに電話した。 担当者の応対を待つ間、 チェックイン時の注意を促す録音がながれた。 「・・・空港には余分な時間をとっておこし下さい。」 なんだか耳についた。 「・・・空港には充分余裕を持っておこし下さい。」 の方が正しくないだろうか? しばらくひとりで悩んだ。
ご覧のとおり日本語修行中の私のブログ。 言葉の使い方が間違っていたり、 気になる部分がありましたら、 遠慮なくご指摘いただけるとありがたい。
余談。 アメリカ人の友達からまわってきたメールに 女性向けのジョークがあったのでご紹介。 日本語も英語も 使い方を間違えると大きく意味が変わるのでご注意を。
An English professor wrote the words:
“WOMAN WITHOUT HER MAN IS NOTHING”
on the blackboard, and directed the students to punctuate it correctly.
The men wrote:
“Woman, WITHOUT HER MAN, is nothing.”
The women wrote:
“WOMAN!! WITHOUT HER, man is nothing!” 7/26/2005 誕生日昨日は私の××回目の誕生日。 記念日というのは嬉しいものだが、 誕生日は両手を挙げて喜んでばかりもいられない。
人間、歳をとるのはあたり前。 見かけは自分が気になる部分を適度にケアし、 自己満足に浸ればよい。 だが年齢のわりに中味が伴っていないのは情けない。 精神的に若々しく、 何事にも柔軟に対応できる『大人』は理想的だが、 いつまでたっても精神年齢が低いのは、 はた迷惑で非常識で世間知らずな『子供』である。 日本と違い、 あまり年齢を意識する必要のないこの国で生活する場合は特に、 気をつけなければならない点である。
誕生日を祝う家族や友人たちからのメールや祝いの電話とともに、 先日別れたばかりの義父母と、 もう1人の義弟とその家族から切花が届いた。 毎年恒例となっている嬉しい贈り物だ。
最近はこちらでも日本の航空会社等が、 生花はもちろん、いろいろな食料品を 日本への贈り物として斡旋している。 アメリカにはお中元やお歳暮という習慣がないのを良いことに、 日本の家族や親戚への贈り物をしたことのない我家。 夫婦揃ってまだまだ『子供』だ。 7/18/2005 いただきもの我が家には『いただきもの』が多い。
『いただきもの』と言っても新品とは限らない。 数としては中古品の方が圧倒的に多い。 各種料理皿、グラス、コーヒー&紅茶カップ、湯のみ、 調理道具、トースター、テレビ、仕事机から掛け布団まで、 生活用品のあらゆるものに『いただきもの』がとけ込んでいる。 以前は家具の多くも『いただきもの』だった。
何故これほど『いただきもの』が多いかというと、 ① ①私が無類の面倒くさがりや ② ②ダンナが倹約家 ③ ③NYという土地柄 という3つの理由が挙げられる。 中でも③は大きな比重を占めている。
プライベートでのお付き合いは『狭く深く』がモットーの私。 過去13年間のこの街での暮らしにおいて、 それほど多くの方々と交友関係を築いてきた方とは言えないが、 それでもこの間にNYを離れて行く友人や知人を 見送った経験は幾度となくある。
1人暮らしだった人、家族持ちだった人、構成は様々だが、 みな出発前に行うのが家財道具の整理・処分。 あまり物を持ち合わせていないつもりでも、 いざ引越しとなると結構いろいろな物が出てくるもの。 その時の状況やその人の性格によって、 ①移転先に持参する ②まだ使えそうな物を安く転売する ③無料で知人に引き取ってもらう といった方法を選ぶ。
移転先にもよるが①はコストがかかるため、 よほど価値や愛着のある物でない限り選択されない。
②はアパート住まいの人々に最もポピュラーな手法。 建物のランドリールームや、 (日本人の場合)日系スーパーの片隅に設けられた掲示板に 品物の写真や詳細付きで『Moving Sale』の広告を貼りだす。 大きなものでは車なんかもこの手で販売する。 特に日本人は比較的良いものを丁寧に使っている人が多いので、 掘り出し物が見つかる。 ただしこの方法で全て売却できるとは限らず、 ある程度時間と手間を要するので、万人向けではない。
そして③。 細かな物ならともかく、家中のものをまとめて処分する場合、 ただその辺に捨てておくことは許されない。 特にマンハッタンのアパートでは、 スーパーやハンデイマンと呼ばれる建物の従業員に頼んで 特別に処分してもらう必要がある。 また場合によっては、この人たちに手間賃を払わなければならない。
そこで私たちのような在住者にお声がかかる。
娘を入れても3人住まいの我が家に計5台あるテレビのうち、 3台はいただきもの。 そのうちの1台(TOSHIBA)は、 10年近く前日本に帰国した元同僚が、 これまた20年ほど前NY入りした当時、 日本に帰っていった前任者から譲りうけたもの。 もう何年もののテレビか検討がつかないが、 現在もしっかり役目を果たしている。
キッチンで大活躍しているトースターも もう10年ほど前日本に帰国した友人一家からもらいうけた物。 先日私のブログを見て、義弟がお土産に持参してくれた 日本製『魔法の消しゴム』でゴシゴシ磨いたら、 まるで新品のようにピカピカになった。
これらベテランに混じって 新品だった『いただきもの』も頑張っている。 もう本人たちは忘れているかもしれないが、 マイアミに住む友人夫婦が20年近く前結婚した当時 いただいた引出物の鍋。 まだまだ健在で大変重宝している。
年季の入った『いただきもの』を使ったり見るにつけ、 以前の所有者や当時の様子が思い出され、嬉しくなる。 6/28/2005 今日の出来事間もなく日本から義父母が到着する。 結婚と同時に渡米してちょうど15年目を迎える今月、 初めてアメリカに遊びに来る決心をしてくれたようだ。 私にとっても、この歳にして嫁として初めての『おもてなし』。 緊張する。 しかし、だからと言って何ができるわけでもないし、 両親は私が何もできないことを知っている(ハズ)。 なりゆきに任せよう。
おりしも7月4日(月)はアメリカの独立記念日。 国中がお祭り騒ぎとなる賑やかなひととき。 花火もあちこちで盛大にあがるし、 アメリカの夏を満喫するには最高の時期だ。 私たちが生きてゆく場として選んだこの国を、 この2週間を通して両親にもゆっくり堪能してもらいたい。
また今朝はもう1つニュースが入った。 私の大親友が離婚後、正式に旧姓に戻った。 言葉では言い尽くせないくらいいろいろあったが、 これまで1人で本当によく頑張ったと思う。 「お疲れさま。」 ファーストネームで呼び合うこの国では、 日本ほどラストネームを意識することはないが、 それでも女性にとって姓が変わるというのはかなり大きなイベント。 最後になった名前の変更手続きも終了し、 これで名実ともに独身時代に戻ったわけだ。 これからも大変なことはたくさんあるだろうけれど、 一緒に頑張っていきましょう。 「本当におめでとう! 」 |
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