| ぴあ's profileニューヨーク通信PhotosBlogLists | Help |
|
|
12/23/2006 ホリデー気分日本と違い、正月をゆっくり過ごす習慣のないアメリカ。 『ホリデー気分』が最高潮に達するのは クリスマスや元旦を目前に控えた いまこの時期。 暖冬でいまひとつ季節感が湧かぬものの 街のあちこちにイルミネーションが輝き、気分を盛り上げる。 有名なロックフェラーセンターの巨大ツリーをはじめ
街の各所に様々なツリーが出現し、 家庭用ツリーやリース・飾付けの売店が活気づく。
有名デパートの前には、恒例のウインドゥ・ディスプレイ目当てに行列があとを絶たない。
普段は殺風景なオフィス街も この時期ならではの装飾が施され、行き交う人々の目を楽しませてくれる。 家族や恋人、同僚や友人へのプレゼントを求め ショッピング・バックをいくつも抱えて歩く人々の表情は なんとなく殺気立っている。 これもニューヨークならではの景色だろう。 クリスマス、ハヌカ、クワンザ。 宗教や民族による違いはあれど 大人から子供まで、多くの人が幸せな気分になれる大切な時間。 皆さんも良いお年をお迎え下さい。 4/13/2006 リトル・アップルマンハッタンの東を流れるイーストリバー。 ここに浮かぶ小さな島 『ルーズベルト・アイランド』をご存知だろうか? 長年ニューヨークに住んでいても この島の存在すら知らなかったり、 一度も足を踏み入れたことの無い者は多い。
日本から飛行機でJFK空港に到着し、 クイーンズを抜けてマンハッタンに渡る橋として 映画やテレビにもしばしば登場するクイーンズボロ・ブリッジ。 ルーズベルト・アイランドはこの橋の下にひっそりと横たわる 南北約3キロ、東西幅約240mの細長い島。
車や徒歩で島に渡る場合は 東隣のクイーンズと繋がる橋を利用。 マンハッタンからは地下鉄のFライン または東59丁目と2番街から『トラム』と呼ばれる ケーブルカー(ゴンドラ)が使える。 日本のスキー場でもお馴染みのこのゴンドラ。 1976年にスイスのVonroll社によって デザイン・制作された125人乗りで、 北米で唯一公共交通機関として利用されている代物。 現在は地下鉄やバスと同じメトロカードで利用できる。
目立たぬ小島とは言え、さすがニューヨーク。 その所有権にまつわる歴史はなかなか興味深い。
地元インデイアンたちが『長い島』と呼んでいたこの島は 1637年にオランダ人W. van Twillerに買い取られ なぜか『豚の島』と呼ばれるようになる。 1655~1667年は英国とオランダ勢力による支配が続き 英国人によって『パーキンス・アイランド』と命名されたが、 1668年に地元ニューヨークのキャプテンJ. Manningに 授与されたことから『マニングズ・アイランド』と改名される。 ところがこのキャプテン。 1673年のオランダとの戦闘で 反撃することなく持場のジェームス駐屯地を 明渡してしまったことから 職務怠慢の罪で死刑を言いわたされる。 幸運にも 死刑執行予定日に減刑処分を受け、 公共の面前で刀剣を折られるという大きな屈辱を受けた後、 自分の島への流罪処分を受ける。 彼の死後(1686年)島の権利を譲り受けた義理の娘は、 自分の夫R. Blackwellの名を取って 『ブラックウエル・アイランド』と改名。 1828年 ニューヨーク市が 公共施設の建設地として島を買い取るまで ブラックウエル一族による所有が続いた。
そして1969年。 それまで刑務所や病院、老人ホーム、 低所得者用住宅地として利用され続けた島を 新しい住宅地として再開発すべく ニューヨーク州が99年リースで借地権を取得。 ユートピアを目指す新たな街づくりが始まった。 1973年 島は現在の『ルーズベルト・アイランド』となり 1975年には最初の住居用施設が開設され 現在では高級コンドミニアムを初め、 様々な住宅、商業、教育施設が点在するオアシスとなっている。
90年代初め、メリーランド州の田舎街から ここニューヨークに移転した私たち夫婦。 “犯罪の耐えない危険なマンハッタン島”を嫌い 住まいとして選んだのがこの島だった。 住所にすると確かに“New York, New York”なのだが、 実際の環境はまるで別世界。 水と緑と素晴らしいマンハッタンのスカイラインを目前に 6年ほど暮らした懐かしい街。
ニューヨークの愛称『ビック・アップル』から 今ではこの島を『ビック・アップルの中のリトル・アップル』 と呼ぶ人もいるとか。 国連ビルをはじめ、ミッドタウン東側の景観を ゴンドラや島の各所から気軽に眺めることのできる 『ルーズベルト・アイランド』 観光スポットとしても是非お勧めしたい。 3/17/2006 観光客から見たNYC先月 イギリスから遊びに来た友人たちが ニューヨーク滞在中に撮影した写真を送ってくれた。 写真撮影のセンスに欠ける私には どれも興味深いものばかり。
おりしもセント・パトリックス・デーの今日。 アメリカ人にとっては厳粛で歴史のある建造物のひとつが 5番街にあるセント・パトリック寺院 (http://www.ny-archdiocese.org/pastoral/cathedral_about.html) ここを訪れた彼らが 「まるで新築みたいだね」ともらしたとき、 英米の歴史の差をあらためて感じた。
初めてこの街を訪れた方々の印象に残ったシーンとは・・・ 12/2/2005 クリスマス・ツリー2005年も残すところあと4週間。 この時期 全米の各都市では 恒例のクリスマス・ツリーの点灯式が相次いで行われる。 そしてその代表とも言えるのが マンハッタンはロックフェラーセンターのクリスマス・ツリー。 今年も約3万個のカラフルなライトによって 豪華にライトアップされた。
今回のツリーはニュージャージー州で育てられた 高さ約23m、重さ9トンのヨーロッパ・トウヒ(マツ科)。 クリスマス・ツリーとして代表的な品種だ。 この種はもともとヨーロッパ北部が原産地。 アメリカ大陸には庭園の装飾用として移植されたのが始まりらしい。 年間に平均約30cm成長し、80~110年の寿命を持つ。 ここロックフェラーセンターのツリーとして選ばれるためには 最低でも高さ20m、横幅11mは必要とされているようだが、 やはり23~28mは欲しいところ。 世界的に有名なツリーの審査基準はなかなか厳しい。 数多くの候補木の中から選ばれたその年のスターは、 数ヶ月にわたる手厚いケアの後 数週間かけて移動のための準備が施される。 そして高さ38mまでの大木を運べると言う 専用の超大型トレーラーに乗ってマンハッタンまで運ばれる。 もちろんその真夜中の移動ルートは綿密に計画され、 警察のエスコートとともに毎年つつがなく進められる。
巨大で華やかなロックフェラーセンターのツリーから 各家庭で準備される手頃なツリーまで、 この季節には欠かせないクリスマス・ツリー。 そんなツリーを巡って最近ある騒動が持ち上がっている。 ツリーの呼び名だ。 この季節には欠かせないツリーを 『クリスマス・ツリー』と呼ぶか 『ホリデー・ツリー』と呼ぶか はたまた単なる『ツリー』と呼ぶかで意見が対立しているという。 どうやらボストンの役所が 恒例行事を『ホリデー・ツリーの点灯式』と宣伝したことで この話題に対する論争が一気に広がったらしい。
確かにアメリカは自由で平等を尊ぶ国。 特に宗教の自由は建国の原動力ともなっている。 宗教にはかなり疎い私でさえ、 ユダヤ人の多いこの街に住むようになって 『クリスマス・カード』と『ホリデー・カード』 の使い分け程度の気配りはするようになった。 「民族や信仰の違いを尊重したい」という意見もわかるが、 こと『クリスマス・ツリー』の呼び方云々に関しては どうも理解に苦しむ。
また小学校によっては いわゆる『クリスマス・ソング』を合唱する際、 『クリスマス』という部分を『ホリデー』に置き換えて 子供たちに歌わせているところもあるらしい。
自分たちとは違う考え方に対するこのような『繊細な思いやり』を 日々の生活や国際社会の中でも発揮できたら、 世界のアメリカに対するイメージも向上するのではないだろうか。 11/6/2005 自分との戦い1970年 わずか127名の走者が参加費$1を支払い、 セントラルパーク内の約42キロコースを競い合ってから 今年で35年。 今や立派な秋の風物詩となった ニューヨーク市マラソンが 秋晴れの空のもと開催された。
アメリカ国内50州はもとより 世界各国から寄せられた今年の参加希望者総数は85,000以上。 そのうち約37,000人が参加資格を獲得した。
コースはニューヨーク市を形成する5つの行政区全てを通過。 (http://www.nycmarathon.org/about/course.php#) 『自由の女神』の南に位置する①スタテン・アイランドを出発し、 ベラゾノ・ブリッジを渡り②ブルックリンへ。 北上して③クイーンズに入り、 クイーンズボロ・ブリッジを西へ渡って④マンハッタンに入る。 イーストサイドの1番街を再び北上して⑤ブロンクスに入った後、 Uターンしてマンハッタンに戻り5番街を南下。 セントラルパーク・サウスを西へ向かい、 コロンバス・サークルで右折して公園内を北上。 ゴールは公園内のレストランとして有名な 『タバーン・オン・ザ・グリーン』。
オリンピックはじめ、世界的な記録保持者たちの参加や 高額な賞金(女子1位入賞者には約1,500万円)、 テレビやマスコミによる報道が 大会を盛り上げているのも確かだが、 やはり感動をもたらすのは 参加者一人一人のドラマ。 各種スポーツの中でも マラソンはとにかく自分との戦いが鍵をにぎる競技。 年齢、性別、人種、国籍、身体的コンデイションの 異なる人々が、それぞれのゴールを目指しひたすら走り続ける。 私の周りにも 毎年のように参加している人たちがいる。 毎日の地道なトレーニングの成果を この大きな舞台で思う存分発揮する姿は実にカッコイイ。
あらゆる運動能力が欠如し、 こと持久力に至っては 精神的にも肉体的にも無に等しい私には、 自ら進んでマラソンに参加し、完走すること自体 『神業』に見える。
マラソンが終わると、ホリデーシーズンも目前。
改造工事のため1986年以来閉鎖していた ロックフェラーセンター(30 Rockefeller Plaza)の展望台も 去る11月1日に再びオープン。 エンパイヤーステートとはまた違った マンハッタンの全景を楽しむことができる。
またクリスマス恒例『ザ・ロケッツ』のラインダンスで有名な ラジオ・シテイーのショーも先週スタート。 (http://www.radiocity.com/eventcalendar/home)
名実ともにニューヨークが一年で最も輝く季節がやって来る。 8/10/2005 今さらですが。。。「ライオンキング」ニューヨーク3回目の実父母を連れ、 昨夜はブロードウエイの「ライオンキング」を観に行った。
スタート当初からの人気はいまだ衰えない様子で、 かなりの盛況ぶりであった。 しかしDisneyの作品でこのタイトル。 “どう考えても子供向けだろう”と勝手に思い込み、 チケット入手が困難という噂も手伝って、 個人的にはずっと敬遠していた。
だが、実際に観て圧倒された。 ブロードウエイやオフブロードウエイのショーは これまでもいろいろな作品を目にしてきた。 その中でもこの「ライオンキング」は、 カラフルで精密、独創的な衣装、 さまざまな仕掛けを施した舞台装置、 舞台のみならず、客席通路や上空の空間を巧みに使った演出、 エルトン・ジョンらしい印象的な曲の数々に、 のびのびした歌声の出演者の歌唱力などなど、 感心するポイントが非常に多かった。 特に気に入ったのは、 色の種類だけでなく、微妙な光の濃淡を駆使した照明と、 それを使った影の使い方だ。 日本の影絵を思い出させるシーンもいくつかあった。
そして今日、3人でロンドンに向かう。 ようやく私の夏休みがスタートする。 無事に戻れたら、 ニューヨーク経由ロンドン情報をお伝えしたい。 7/11/2005 野球&クルーズ野球好きな義父母のために、 昨日は再びNYヤンキーズ戦を観に行った。 相手は強敵『クリーブランド・インデイアンズ』。 ヤンキーズの先発投手は移籍後すっかり小奇麗になった ランデイ・ジョンソン。 今回はネット裏のとびっきり上席を用意したため 炎天下の中ずっと直射日光にあたりっ放しとなったのだが、 松井選手の奮闘に2人とも暑さを忘れたかのように熱中した。
そしてお楽しみのスナック。 前回2人が大型バケツいっぱいのポップコーンをたいらげたと 聞いたダンナが『ポップコーン購入禁止令』を発令。 今回はかろうじて禁止令が出なかった『ホットドック』と、 これまたアメリカではお馴染み『プレッツエル』に挑戦してもらった。 ハートを組み合わせたような形をした ベーグルに似た生地に大粒の塩がついている。 この塩気がまたよいのだが、 義父には少々しょっぱすぎたようだ。 やはり2人にはポップコーンを食べてもらうべきだったと少々後悔。
最初はどう見ても負けると思われた試合も、 松井の粘りがキッカケでみるみる逆転。 私が球場に行き、2試合連続で勝利を収めることなど これまで皆無だった。 義父母の熱烈な応援パワーが利いたものと思われる。
球場を後にした私たちはダンナ&義弟と合流し、 マンハッタンは西23丁目とハドソンリバー沿いにある チェルシー・ピアへ。 ここではありとあらゆるスポーツが 管理された室内環境の中で楽しめる。
昨夜の目的はここから出航するデイナー・クルーズ。 マンハッタンの周囲を遊覧する観光船はいろいろあるが、 食事のできるデイナー・クルーズとなるとあまり種類はない。 今回私たちが選んだのは『Spirit Cruises』の 『Bateau New York』 (http://www.spiritcitycruises.com/bateaux/index.html) 天井までガラス張りの船上で約3時間、 食事と景色と生バンドと踊りを楽しむクルーズだ。
6時半に乗船し、出航したのが7時半。 夏時間を使う夏季の日没は夜の9時前後。 夕焼けのマンハッタンやニュージャージーをたっぷり楽しんだ後、 景色は徐々に夜景へと移り変わってゆく。 高層ビル群やイーストリバーにかかる数々の橋も見事だが、 最もお薦めなのはライトアップされた『自由の女神』。 アメリカにいることを実感できる景観だ。
食事はいわゆるアメリカ料理。 ものすごく美味というわけではないが、 目の前に広がる見事な景色が料理の味を忘れさせてくれる。 (写真はグリーンサラダ、ツナの前菜、そしてラム)
2週間にわたった滞在も明日で終了。 早朝には空港へ向かわなければならない。 楽しい時間というのは本当にあっという間。 これに懲りずまた近いうちに是非遊びに来て欲しいものだ。
特にそこの三男坊、待ってるよ! 7/7/2005 ママミア昨日のメインイベントはミュージカル。
このところ人気の「ママ・ミア」を観に行った。
場所は以前あの「キャッツ」が公演されていた
タイムズ・スクエア北部のウインター・ガーデン・シアター。
奮発してオーケストラの前から7列目という席を入手したため、
出演者の顔や表情も手に取るようにわかる。
あのABBAのヒット曲をふんだんにおりまぜたショーは、
英語がわからない客にも十二分に楽しめる作品。
70年代を彷彿とさせる衣装も雰囲気を盛りあげる。
また最後は舞台からスポットライトの大群が観客を照らしだし、
出演者たちが総出でコーラスするヒット曲にあわせて
観客もほぼ総立ち状態で踊りだし、
劇場がいつのまにか「デイスコ」に変身した。
まだ英語がほとんど聞き取れなかった学生時代、
田舎のラジオ局で毎日のように流れていたのがこのABBA。
客席に座りながら、いつの間にかコーラスにあわせて
曲を口ずさんでいる自分がいた。
懐かしかった。
7/5/2005 独立記念日7月4日はアメリカの独立記念日。 今年で229回目。 日本に比べるとやはり若い国だ。 アメリカ各地で様々な催し物が開かれるなか、 我が家に滞在中の義父母を連れ、 マンハッタン北東のブロンクス地区にある ヤンキースタジアムへプロ野球観戦に出かけた。 試合は『ニューヨーク・ヤンキーズ vs バルテイモア・オリオールズ』 という好カード。 祝日で晴天の午後ということもあり、 約5万8千人収容できる球場はほぼ満員となった。 プラスチックボトル入りの冷たいビールに、山盛りのポップコーン。 飾りっ気のないホットドックを 和食好きの両親が喜んでほおばっている。 おまけに試合は1回裏からヒットやホームランの連続で ヤンキーズの大活躍。 途中逆転されたものの8回裏に再びヤンキーズが逆転し、 13対8で勝利を収めるという、 ファンにとってはたまらない展開となった。 松井選手(写真の中のバッター)も大奮闘し、勝利に貢献した。
その後、軽い(?)夕食のつもりで訪れたのが ミッドタウンはグランドセントラル駅の中にある 『マイケル・ジョーダン ステーキハウス』。 あのバスケットボールのスーパースター、 マイケル・ジョーダンの店。 レトロな雰囲気で広々とした駅構内が見渡せるバルコニー席で、 アスパラガスと赤ピーマン、 赤&黄トマトとオニオンの前菜(写真参照)からスタートし、 メインにはそれぞれヒレステーキ、サーモンのグリル、 ラムのソテー(写真)、付けあわせに ハッシュブラウンとアスパラガスをオーダー。 アメリカサイズに慣れた私には少々お上品過ぎたのだが、 日本住まいの両親には充分だったようで、 デザート無しのコーヒーでしめくくった。
そして出かけたのがマンハッタンの東を流れる イーストリバーに浮くルーズベルトアイランド島。 この小さな島のことを知らない人は多いが、 国連ビルを含めマンハッタンの東側を外から眺めることができる お薦め観光スポットの1つだ。 マンハッタンからは地下鉄Fライン、 または東59丁目と2番街にあるトラム(ゴンドラ) を使って行くことができる。 毎年独立記念日には、この島の南端部分に観覧席が設けられ、 イーストリバーで打ち上げられる メーシーズの花火を見ることができる。 ただし小さな島のこと、席数は限られており、 当日ではまずそのチケット($18)は入手できない。 急に出かけられなくなったダンナと義弟用の チケット2枚を持参した私は、 会場の入口付近で早速チケット販売を開始。 1枚はコネチカット州から花火を見に来たという日本人男性に、 そしてもう1枚はアブナイ目をしたダフ屋に転売。 とりあえず無駄にならなかったことに満足し、 義父母とともに会場へ。 夜9時20分開始の花火に備え、開場は5時。 ゆっくり夕食をすませた私たちが会場に到着したのは 夜8時30分過ぎ。 既に大勢の人々が席取りして待機するなか、 幸運にもかなり前方部分で3つの空席を発見。 ゆっくりと陽が沈むのを見ながら花火のスタートを待った。
アメリカで最初に花火が打ち上げられたのは 1934年の7月4日だったとか。 当時からは想像もつかなかったであろうスケールで、 今年も各地でアメリカの誕生日を祝う花火大会が開かれた。 中でもこのメーシーズの花火大会は 全米で最も有名かつ盛大なイベント。 マンハッタンの23丁目から42丁目あたりに相当する イーストリバー上に3つ、 サウスストリートシーポート沖に2つ、 そして自由の女神が立つリバテイーアイランドと エリスアイランドの間に1つ、 計6台の打ち上げ台が マンハッタンの東南部を取り囲むように設置され、 コンピューターで遠隔操作された花火が オーケストラの奏でる音楽にあわせて打ち上げられる。 特に今年はこれまでにない大規模な企画となり、 合計3万5千発以上もの花火が、 1分当り千発以上のペースで打ち上げられた。 日本のように “少しずつ打ち上げては煙が流れるのを待ち、次の花火を上げる” というような情緒に満ちた方法は取らないのがアメリカ式。 とにかく勢い良く、ほとんど休む暇もなく一斉に打ち上げ続ける。 よってこれだけ大量の花火を打ち上げるのに要する時間は30分弱。
アメリカの花火は初体験だった義父母も これには度肝をぬかれていたが、 同時にかなりの感動をおぼえたようだ。 野球観戦に花火大会。 独立記念日に最もアメリカらしいイベントに参加し、 大満足の1日だった。 |
|
|